骨肉分離機、POSS、BEEHIVEなど チキンミンチの本当の品質を評価 旅の楽しい話
TATS紀行   Horse Picture ロス・テイラー      2019.7.30
O Ross Taylor

ロス テイラー
享年89 歳

 彼は、私の骨肉分離機の師匠であり、友人でもそれ以上の存在だった事を改めて理解しました。
 この馬の写真は、今までに弊社HPの冒頭にありましたしTATS紀行の2007.8の『アメリカ・・・鶏の居る風景』に彼を紹介しています。

“Pull It One More Mile” “
あと もう1 マイル引っ張ってみよう

 ロスは、ユタ州で放し飼いの卵用の鶏を集めて肉にして販売する事業をまだブロイラーの若鳥生産が始まった頃やっていました。単に鶏をカットするだけでも <首>だけは売れません。 機械で首から肉だけをミンチでも取れないだろうかと思っていました。当時無かった機械の研究をして骨肉分離機ビーハイブ・セパレーターを世に出しました。 最初のデモ機が日本に入ったのが、昭和48 年でした。それを聞いた親父は、“すぐ 買え!” そして 魚の採肉機で鶏ガラから取っていた劣悪なすり身から骨肉分離機によってチキンミンチ は、食肉加工品の副原料として大きな存在となりました。 アメリカでは、ホットドックが安く普及できたのもビーハイブを始めとして各種の骨肉分離機が誕生したお陰です。コストを下げる目的だけでなく、品質を求めてより良い食品を作るための道具として。 日本では、つくね、チキンハンバーグ、ミートボール、ソーセージと大きく広がって行きました。 それは当時のビーハイブによって道が開かれたと言えます。

 ソルトレイクシチーの郊外にあるビーハイブ社を訪ねると西部劇映画の悪役にぴったりの風勢の巨漢のロスが歓迎してくれました。 彼の事務室の壁には
Horse Picture が飾ってあって これは彼が尊敬できるプロフェッショナルにのみ贈呈していると説明してくれました。
 ユタ州はモルモン教徒が開拓して豊かになった土地です。モルモン教は 酒、コーヒーはダメ、一夫多妻主義であるけど仕事に熱心に取り組む考え方生き方を持っています。ロスは 悪いモルモンで酒は飲む、でもガールフレンド無し。 住宅地なのに家に大きな馬を飼っていて フェアの時に荷物を引っ張る競争に出すためです。
 ケンタッキーフライドチキン事業を始めたレストラン経営者が、事業拡大のためにカルフォルニアへ移住すると聞いたロスは、若いにかかわらず “俺に売ってくれ!” カーネル・サンダースはそのフランチャイザーの一人だったそうです。その家になんども泊めてもらいました。大きな地下室があって いつか自分が家を建てる時はこんな地下室があったらと思ったものでした。
 彼は、オーナーであるにもかかわらず、営業担当副社長として当時ソビエトの傘下の東欧諸国へビーハイブを輸出し、世界各国で骨肉分離機によってチキンミンチを作れる新しい食文化を広げました。当時、東欧ではワクチンが不足で子供が風邪でも亡くなることは当たり前だったそうで妻のバーバラと一緒に医者を騙してワクチンを密輸して感謝されたそうです。 ロスは、食肉事業を拡大して牛肉や豚肉もやり、会社を売ったり、失敗したり、だからビーハイブ・マシナリーCo. も人手に渡せねばならない時も起こりました。その後で自分が雇った社長に追い出される悲劇も・・・・。

 ロスは、世の中に売っていないもの 自分の趣味もビジネスにしてしまうVolcano 火山というバーベキューセットを作って鶏3羽が立ててローストチキンを炊けるダッチオーブンを自慢していました。これだと炭が少なくて 火の効率が・・・・。説明してくれたのに、これって日本の火鉢に似ている? と言ったら黙ってしまった。山の中に100 人集まれるBBQ グラウンドを作って ステーキを100 人分一緒に霧を吹きながら焼き上げる。ある時 SF 空港に着いたので電話したら『TATS 明日はBBQ だ。手伝いに来い!』西部開拓史の研究も趣味以上 銀行強盗のやり方の説明や金鉱強盗が使った馬の鞍鞄がご自慢のものロングホーンの角の飾り物、牛のペニスをステッキや靴ヘラにしたり。人を楽しませることが好きな人でした。私は起業した24 年前に新しい代理店としてビーハイブを日本で広めました。その10 年前まだビーハイブ社が存在していた時 ロスがHorse picture をくれました。 私にはその資格はないと言ったら『取っておけ!』


 今年の1 月30 日私の設計した新しいTATSMASTER BFP のテストをTPM 社で行い、遥かに良い結果を出せた。 ビーハイブを超える骨肉分離機BFP の誕生でした。帰国する前夜mail でロスが天国へ旅だったことの連絡があって、その時はソルトレイクへ会いに行ったのですが会えませんでした。 師匠が弟子を呼んだのです。今回は、墓参りが大切な目的。
墓石には Horse Picture が彫ってありました。



 この写真は、おおよそ1917 年に鉱山の地下で撮影されたものです。
 この馬はほとんど目暗らになっていて、これらの馬たちは暗闇の中で生涯過ごしていたものでした。これを見た私は、強烈な印象を受けました。それは、アメリカ人の生きざま、そしてこの祖国を築き上げた先祖の努力を描いたと等しいものだからです。時折、言葉に尽くせない失望や悲観に落ちいった時がありました。その時、私は、この写真を見上げて自分自身に言い聞かせたものでした。
   
“ あと もう1 マイル引っ張ってみよう ”
 この精神に基づく姿勢をもち、人並みの理性を持ち合わせていれば、この自由な社会の大地において誰でもが人生を成功させることは確かである。
                          ロス テイラー ビーハイブ社創業者
“Pull It One More Mile” あと もう1マイル 人生を引っ張ってみよう
                                    石井 達雄

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