TATS紀行 パンガシウス 紀行記 2018年8月
拝啓 残暑 お見舞い申し上げます
ベトナムから帰ってきたばかりですが、日本の方がもっと暑い感じです。
8月22-24日のシーフードショーの準備をやらにゃならない。
今年の東京は、松谷に任せて、私はホーチミンでの展示会へ行きます。

メコンデルタのメコン河は、広くて9つの支流があるし、橋が少ないからフェリーがどこでもある。2ケ所の工場で私の骨肉分離機Chibyチビを4日間づつテストしました。だから、工場へ通うのにフェリーに乗ってメコン河の対岸へ渡る毎日。皆なバスもトラックも乗用車からバイクも自転車も乗り込んできます。船には、物売りも小店もあり、宝クジ売りもいました。街の一部が、20分だけそのまま動かずに一箇所にいるという空間を感じました。
河の行き来を9台の船がやっているのだけど、刻表があるのかなあ。切符は途中で売っていて車から降りて走って買ってくるのだけど、止めているから他の車が割り込んで先に船に乗り込みます。夕方 ホテルへ帰るのに待つこと1時間。朝はスッといって10分で乗り込んでから20分。
不思議なことは ベトナムでハエと蚊が少ないこと。 ここでは、養殖ナマズ
“パンガシウス”
通称BASAバサが大量に生産加工されていて 日本でもスーパーで白味魚のフライで売っているものはこれです。ベトナムのBASAには不思議な力があるのでしょう。
私のすり身の常識では、 理解できないものと事を体験し、 新たにやる気も出ました。骨肉分離機に投入する中骨の温度がなんと、28°C 。フレッシュの加工する鮮魚が 24°Cだから当然です。
それの中骨が山と置いてあるところで臭くないことが不思議でした。
養殖ナマズ“パンガシウス”BASAバサ
 中骨を骨肉分離機に投入する。
2つ目の工場は、3時間走って河を渡り タイの財閥CPの工場でしてスーパーのイオンが仕入れている
ぐらいでして 綺麗な工場でした。
我々は、毎日のようにBASAバサを食べていました。

蒲鉾料理のCha caチャカは、どこでもありますし スリミ状にしてレモングラスの枝に巻きつけたものです。
右手:エビのチャカ 左 バサ
村の飯屋でのバサ料理です。どこでも煮込んでそれに味付けしたもののようでした。美味しい。
バサは、脂が多いから、加熱して脂肪を落としてが、旨さのポイントと感じました。だからこそミンチにしたものでさつま揚げにしたら美味かったし、粘りとシコシコ感が良かったわけだと独り合点。
今回の目的は、魚脂とフイシュミールのみを作っている大手のバサ企業に中骨から骨肉分離機Chibyチビで食品用のミンチを作りませんか、というテスト巡業です。 150kgの中骨原料を13分で処理してミンチを分離したら驚いて見ていた皆さんがハッピーファイスに変わりまた。
どの工場も1日に100―300トンの魚を多くの従業員が包丁1本でフイレを切り取ってゆく。輸出用だから丁寧にトリミングしてカッコよく、小肉をゴミにしていました。でも日本向けに出せる商品を作っている会社は まだ少ない。まして すり身加工は無い。大手はどこもやらないのは、投資費用と要求度合いが高いからと推定しました。
ベトナム地元のすり身供給は、海の魚からで賄っているから。でも 世界中で魚が獲れなくなっていることは、現実でありすり身供給を維持する解決方法はない。
養殖の池には、メコン河の水を入れて 餌を撒けば 物凄い勢いで魚BASAが食いついてくる。
東海大学の故ハゲ頭教授が言っていたようにBASAバサが蒲鉾業界を救うかもしれない。でも日本向けに出せるすり身を作っている会社は まだ無い
TATSコーポレーション 石井 達雄
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