骨肉分離機、POSS、BEEHIVEなど チキンミンチの本当の品質を評価 旅の楽しい話
TATS紀行 2014 年 暑中見舞い申し上げます

6-7 月初めまで アラスカへ行っていました。

              
紅鮭が戻ってくる河
アラスカのブリストル湾というベーリング海の河に紅鮭が大量に故郷へ帰って来るのは 6 月末から7 月末までの5 週間だけです。 この時期だけ人より熊の住民が多い川辺にある工場群が短期間稼働します。 鮭を頭と内臓を除去して、筋子になる高価な卵をそっと箱詰めしてドレスは1 トン単位に冷凍して送り出すだけでなく、最近は三枚下ろししてフィレの生産が始まりました。

そこで出るまだ骨の周りに肉が付いている中骨は、頭や内蔵と同様に廃棄してカモメの餌になっています。       
    写真

  これはもったいないと思う人と出会えたので私の骨肉分離機でミンチ肉を中骨から分離して新しい食品にするチビ身の生産指導をしてやっと帰ってきました。
しかし 凄いところですね。良い経験になりましたし、アメリカの荒野慣れをしていた私もこんな湿地と熊の世界は驚きました。工場内以外は 湿地。朝はジャケットが必須 でも午後はT シャツでないと暑くて。 夜が暗くなるのは夜の11 時 朝は6 時から明るいし。

ここは世界で一番紅鮭がやってくる河です。Naknek ナクネック河は泥河ですね。
しかも満ち潮引き潮の格差が大きい。
鮭は清流に来るものとのイメージがあったのに驚きました。工場が河上であって幅広いのですがその先は普通の狭い川ですからどこで卵を生むものでしょうか。聞いてくるのを忘れました
しかも 6-7 月の6 週間のみです。
沢山の工場もその時だけしか稼働しません。
作業員はセスナ機で何100 人も送り込まれて 15 時間勤務をするという凄いところです。
bunkhouse という長屋アパートが沢山あって3食付きで働くだけ。近くに何にもない。
熊が居るだけ。お金もつかいようがないし皆 高給に釣られてやってきた人たちだから仕事のある無しでピリピリしていました。
まず 肝心のチビ身(すり身でなく、骨肉分機械の名前がChiby チビだから)製造は スタートして3 日後に鮭が1 日450tも入るピークが始まったので生産停止。 やっと7 月8 日4pm からミンチ製造再開となったようです。原料はいくらでもあります。


こんなに沢山の紅鮭が船からバキュームで吸い上げられて搬送される        原料の紅鮭の中骨

工場にはAlan といううるさいオヤジが居て こんな新しいことをやりたがらない。でも工場で作ったチビ身を食堂へ持ち込み 美味しいサーモンバーグを250 名も働く工場の食事にもしました。 それは私も自信になりました。
彼にとっては食費cost down になりました。

   サーモンハンバーグ と ナゲット試作品


収獲量が減っているのは紅鮭だけではありませんから 資源をもっと活用する時代でしょう。 この工場にあったミゼット???
年間 2 ケ月しか稼働できない工場だから 車は一度持っくるともう返すことはないこの領域では、河口で小さな漁船がアラスカ政府の管理下で操業して「今日はこの地域で3時から3 時間だけ」とか「明日は禁漁!」 そして全面解禁。
と厳しくやっていました。 これは大切なことです。
大漁目指して獲れるだけ獲ろうなんてやるべきでない。


1 日 1隻で1t~1.5tぐらい獲ってForwarder運搬船(会社別の)に渡しては、漁師は魚場での船上生活していました。
網の交換や食料品は、その運搬船が運んでいるサービスまでやっていて、これってすごい。

工場の船着き場





私は筋子を作りに長年来ているという変な北海道の漁師の彼にくっついて対岸のBig Creek まで
行ってしまいました。対岸の工場へはセスナで着地は河の砂地でした。すると 車が来て出迎えて
くれました。


誰もいない滑走路です。











湿地に川がどこまでも

陸地は続いていても道路は途切れ途切れ工場と道路以外は 全て湿地です

名前を知らないけどチャーミングな紫










生きた熊には会いませんでした
こんなに大きな羆です。
野生の熊を見る観光ツアーも案内にありました


石井達雄 TATS コーポレーション


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