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TATS紀行 戦争の話 平成26年1月23日 先の大戦の零式戦闘機パイロットの小説[永遠のゼロ]を感動をもって読みました。読書感想文を書きたくなり、これを始めます。主人公の<生きる務め>とは何か は、我々の日常にもある不変の課題でもあろうかと思われます。 私は戦後の生まれですから 子供のころは駅前に傷痍軍人が募金で立っているのを見ていました。父親や大人から戦争の話を少しだけ聞く事はあっても それ以上は語らなかったし、まずは話したくなかったというのが本当のことでしょう。 昭和47年にカルフォルニアのモデスト短期大学の学生になった時 ボブBobと同級生になりました。ボブは、ずっと年上で出っ腹のベテラン(元軍人)でした。開戦後すぐフィリピンのバターンで日本軍の捕虜となり、終戦を秋田の銅山の捕虜収容所で迎えたという人でした。しかし 日本人に悪い感情もなく、仲良くなってから毎日のように私はボブの家に立ちよって孫の世話を手伝い、ビールを飲んでから帰宅するような生活を過ごしたのは良き思い出です。彼はよく話してくれました。「あの当時は皆なひもじい思いをしていた。食べ物が無かった。日本人も我々も同じだった。町の木工工場で働いていた時にそこの子供が亡くなってお通夜に我々も呼ばれて夜道を歩いた思い出がある・・・・」「マッカーサー将軍は我々を見捨てて逃げた。」 ボブの捕虜時代の友人で義弟のビルに会った時 日本兵と闘う時のやりかたと踏みつけ方を説明しみせてくれて 私は驚きました。40年前には、まだそんな気持ちの人は多くいたことでしょう。彼の息子とはその後もよく会ったけど 彼は顔を見せようともしませんでした。 ボブとベッキー夫婦が日本に突然やって来たり、私の両親と渡米した時は一緒にヨセミテ自然公園で散策をしてと交流はずっと続きました。ボブが80才台の時に孫娘から<お爺ちゃんが日本へ行きたいと言っているけどどうだろうか>と連絡があり、OK。次女のジョアンと来日。船橋のホテルで10日ほど過ごしました。箱根の温泉へ行こうよとドライブし、富士山を眺め、芦の湖で船遊びをして温泉へ。 お風呂で温まって部屋にもどった浴衣姿のボブが、話始めたのは マッカーサー将軍を口汚く罵る話でした。マッカーサーは自分に都合が悪い事はもみ消して そのために死んだ兵士が・・・・。日本軍の捕虜収容所で運転手の役に付いたボブは、着任した日本軍の将軍を乗せて遠出した際に凸凹道を時速60kmで走って目的地に着いたら将軍から英語で「お前は乱暴な運転だ」と言われた。でもボブは「将軍! 貴方が60kmで走れと云ったのです」「そうか。わかった!」狙撃の危険があったそうです。それからボブの待遇もよくなって食事も増えたそうです。多分、ボブにしてみたら捕虜になったのだから兵役の務めは既に終わっていると云う気持ちだったのでしょう。反抗や攻撃などは考えてもいない若者だったのでしょう。 ボブはベットに座りなおして、この話を続けました。「A stupid American shot the new Japanese soldiers!」 日本軍の新兵部隊が到着して整列し閲兵しているときに若いアメリカ人捕虜が、銃を奪って発砲を始めたそうです。死傷者がでたけれど取り押さえられてしまった。 将軍が言ったそうです。「You are a brave man. But I have to kill you, son. お前は勇敢な男だ。しかし、自分はお前を・・・・」バァ―ン!! 将軍自ら引き金を引いたそうです。これを話すボブには、尊敬の気持ちが表れていました。 初めて聞かせてくれた話でした。 そのボブも鬼籍に入ってもうすぐ7年。 彼のお墓は、従軍した方達のなだらかな墓地にありました。ボブは、ベッキーと人生を全うし 養女を含めて子供6人に孫多数。人生に山や谷があったとしても家族を大切にした彼は務めを果たしたのでしょう。 石井達雄 |