TATS紀行 a story of TATS’s trail
アメリカでの人の縁 small world 2010.2.6
Atlanta Poutly EXPO アトランタで毎年1月末に開催される国際ポートリーEXPOで私のチキンミンチの品質検査技術を紹介する機会を得てきました。 パートナー会社のTPM社のブースの端を借りた出展です。遠心器で検査するとサンプルの鶏肉ミンチの肉の重量や形状、脂肪まで目で見て誰でもわかることには、多くの鶏肉関係者が驚いていました。機械が切れなくなると品質も落ちる、悪いものを買わずに選べる。営業の道具としても― なんでも見えたら誰でもいろいろと良い利用を考えられるものです。
骨肉分離機ビーハイブを1972年に発明したRae McFarland が訪ねてきました。 Hi Tats!
ポス社主催の夕食会にJackとSusanがいて「驚いた。久しぶりだね。でもどうしてあなた方がここにいるの?」「イタリアワインの輸入の相手から誘われてね…」テーブルの席がポス社POSS Design LTD社長Ken Gulakの隣だった。「ケン!彼は何者か知っているかい?」「?」「ビーハイブ社の昔の営業部長だ」「えェー 長年の競争相手が・・・」Jackが辞めたのは20年も前、ビーハイブの工場は昨年閉鎖されて多くの熟練行員が解雇されました。アメリカの市場は変化を探しています。
検索 www.The Official White Pages-Find:これを初めて知りました。イエロページは職業検索、これは、人名と住所を入力すると電話番号や住宅の名義まで出てきちゃう。犯罪歴まで調べられます。試しに オバマ大統領夫人のMichelle
Obama 住所Washington DC でやってみてください。
そういえば、知人から交際相手を何の気なしに検索したら 結婚する気がなくなったって聞いたことがあったな。 これってプライバシー保護とどんな関係になるのだろう。
雪の中でキジ狩り:Roger親子が予約してあるから行こうよと空港で待ち合わせしてアイオワの雪原へ。
アメリカ人は遊び好き。なんでも遊べるようにビジネスにしてしまいます。ロッジは元農家をお客用に改造してある優雅なものでした。ここぞと男5人が缶ビールをガンガン飲む。2ダースは空に
日本の大企業の社長たちが数年前に3泊も遊んでいったよとオーナーのMarvin.
ルールは、自分の拠点で待っていて放鳥されたキジが森を飛び越してきた時に撃つこと。散弾銃と弾を沢山持って行けば、楽しめます。人の居る方向や地面に降り立ったキジは狙ってはいけない。その前にライセンスをUS$20で買うこと。防寒具を重ね着してポケットに弾を2kgぐらい入れて待機します。猟をするキジは養殖で、元々韓国から狩猟用に輸入した高麗キジですから首の白い輪で綺麗な鳥です。
バーン バーン バーン!!
ハンター14人で150羽放したのに1/3に逃げられた。
空高く、早く飛ぶキジは撃ちやすいが、低空でハンターめがけて来るようだと逃しやすいようです。
これが野生に帰り、ライセンス料金は保護活動の資金となるのです。 私は 5羽ゲット!
野牛や鹿や輸入狩猟動物撃ちをやれる専門牧場も広いアメリカではあるのです。
Pheasent Haven www.ugohunt.com
新しい試み: TPM社に帰って鶏肉ミンチのサンプル検査をしました。

アメリカのホットドッグソーセージの原料鶏肉は、このミンチ100%でつくられているのです。しかし高速1500rpmの大量生産型骨肉分離機械でめった高い歩留りをとり、長いパイプラインの生産ラインを通すから肉が練られ現象になっていてソーセージには好ましくても、
品質は高くないというのが私の見解です。
TPM社が、工夫改造した機械でつくったミンチMechanically Separated Chickenは加熱歩留りが高く、食感もよいものが出来ていました。このレベルの品質にアメリカでは初めて出会えました。Good
job done. これなら、もっと広く用途をつくれる。食品だから美味しい加工品が作れなきゃ価値はないのだ。量産と歩留りだけの機械ばかり。
Rogerは機械の改造の新ビジネスを新しく仕事に加えるでしょう。品質を作る努力が価値も創る。
恩人: カルフォリニア大学デービス校 昔は小さな大学で学生は自転車で移動するので有名でした。昭和30‐50年代に滞在/留学された日本の方ならまずはDr.Frank Xavier
Ogasawara オガサワラ先生にお世話になられたはずでした。家禽学科(鶏など)の教授として高名であり、多く日本の大学の研究者のお世話を一手に引き受けていた人でした。日系二世で貧農の育ちから二世部隊で欧州戦線を乗り越えてGI奨学資金を得てカルフォリニア大学を卒業した苦労人で本当に面倒見のよい好人物でした。 特に七面鳥農場で子供の時から働いた経験からか七面鳥の人工受精の研究で業界に多大な貢献をされた人でした。今のアメリカでは七面鳥加工品として、ターキーサンドイッチが当たり前になっていますが、大学で研究した試作品を御馳走になったおぼえがあります。かくいう私は、40年も前の1970年12月に先生のお陰でアメリカにcowboyの仕事を得ました。デービスのお宅へ着いて先生に御礼の言葉をしどろもどろの英語で言ったら 先生は「To
give the opportunity is my job. 機会を与えることが先生の仕事だから感謝するほどのことではないよ」とおっしゃった。
亡くなられて8年。 お墓参りに参りました。
先生の墓プレートにはご夫妻の名前が刻まれていて先生の名前の右上に高知の尾長鶏の絵がありました。人柄がしのばれました。
デービス校の新しい学生寮には、功績のあった教授の名前が寮の名前になっています。UCDらしい良き伝統です。夫人が前に呼び出し: BlackBerryのSmartphoneはビジネスマンには必須のごとき携帯ですが、もっと広がっていてかなりの人が持っているのを飛行場でよくわかりました。私もdocomoで入手して出張ってきたばかりなのでまだよく使えません。そこへかかってきました。「Tats! 俺だ。お前近くに来てるんなら来い。」
Ross Taylorロス・テイラーからでした(TATS紀行 2007.8月)
石井達雄
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