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TATS紀行    アラスカの忘れな草と紅鮭  2023/01/19
            各国の労働者が集う原野の加工場   

 2012年に初めてアラスカ湾にあるコディアック島を訪ね、翌13年にはブリストル湾側のキングサーモンにある紅鮭の加工場に、私の骨肉分離機チビを納めました。それから毎年、サーモンチビ身の品質を確認がてらアラスカを訪ねていましたが、コロナ禍もあってご無沙汰して久しくなりました。今回はそんなアラスカの思い出から。

アラスカの鮭を守るライセンス制度
 毎年6月になるとこの美しい花「Forget me Not」を思い出します。アラスカ州の花「忘れな草」です。この紫の花が咲き始める頃、紅鮭が故郷へ遡上してきます。サケ達はナカネック川という泥河を、子孫を残そうという本能で頑張って上り、上流の澄んだ小川まで行こうとします。短い夏の中で生命が見せる挑戦、それが目の前で毎日繰り広げられます。
 サケ資源を乱獲から守るために、アラスカにはライセンス制度があります。法には必ず抜け穴があるとよく言いますが、私が知る限り、海外の漁業管理はかなり厳しく行われています。ここアラスカでも、漁船が動き出すのは、州政府の監督官がこのポイントは何時何分から漁をして良いと許可を出してから。しかも、獲れるだけ獲って大漁旗を揚げる、なんてことはできません。ライセンス(許可漁獲量)が決まっていて、それ以上獲れたら超過分は他の船に譲らねばなりません。
各工場も、どの船から紅鮭(Sockeye Salmon)、白鮭(Chum Salmon )を買い上げたか、都度の電子メールだけでなく、それを電子メモリーにまとめて毎週報告する義務があります。10年前の当時ですら、どこかの国のように記録と現状が違うことなどあり得ない厳格さでした。

世界中からやってくる労働者
 ここはアラスカ原野の半島ですから、人口は限られています。サケが遡上する6〜7月の間に、世界中から人を集めてサケの加工・冷凍・出荷をやらねばなりません。工場の管理者、事務員、機械のメンテ担当もこの2ヵ月間のためにアメリカの各地からやってくるベテ
ラン達です。ハードワークだけど高給だから。いえ、報酬だけでなく、彼らはこの仕事を好きになった人たちなのかもしれません。
 フィリピン、メキシコ、アフリカ…、世界中からやってきた600人の季節労働者がフリーで宿泊・飲食できるバンクハウスと白夜食堂では、いろいろな言語が飛び交います。故郷から往復の旅費は会社持ち。でも、日に16時間労働(アラスカ州政府の労働時間の規則に、「水産業・農業は除く4 4」とわざわざ明記されている!)の過酷な日々が待っています。
 日本人も、イクラ加工部門専門に北海道からの漁師達が。サケの加工は包丁を持っての作業、初めての人も多いので、安全教育の時間もあります。その一つに「熊が居るから夜は外の道路を歩かないこと」とありました。
ある早朝、厨房の食料を置いてある部屋にアラブ人の女の子が入ったら「熊っ!」。室内でも遭遇しました。

アラスカ天然紅鮭でのチビ身生産
 輸出品としても重要なアラスカの天然紅鮭ですが、中でもフィレー加工品は年々注文が増えており、加工後に残る中骨の量も膨大です。これを商品化しようと、以前より鶏ガラからチキンミンチを作っている骨肉分離機(アメリカ製)を持ち込んで試していました。が、天然紅鮭の骨は鋭くて硬いため、ミンチに骨片が混じってしまい、動いては停止で成功しませんでした。
 2013年に納品したチビ機は、すぐに中骨から歩留り50%以上でサーモンミンチを作り始めました。それを見ていたアメリカ人が、「これはすり身じゃない、チビが作るからチビ身だ!」と言ってくれました。Goodname! それ以降、チビで作った魚ミンチを「チビ身」と呼ぶことにして、今に至っています。

2016年新設の大規模サーモン加工場
 アラスカを訪れて4年目、隣の加工場に来年、骨肉分離機チビを入れて欲しいと注文をもらいました。アラスカで2台目。以下は、それを納めた2016年の話です。
 漁師の船から新しい加工場のプールまでは、直線で300mは離れていますが、サケをパイプラインで吸い上げて運びます。加工場の処理能力は1日に紅鮭・キングサーモン500t以上、その半分をフィレー加工するというのですから、すごい規模です。当然、コンベアで流れてくる中骨とハラスの量も半端なく、ピーク時では2800㎏/時、そこから1600㎏のミンチがとれます。
 6月19日の稼働テストで、いきなりものすごく良いチビ身ができました。その理由は、原料のサケの鮮度が本当にいいから。ミンチながらプリプリの食感。こんなサケミンチを作るのは初めてでした。幸先の良いスタートです。

稼働3日目で機械停止のピンチ
 喜んだのもつかの間、翌日に、20時間/日という超ハードな稼働を想定しなければならないことが判明。
フィレー加工は3 ラインで10 人ずつ、1分間に3匹カットを、毎日1匹ずつ増やしていきます。シーズン初めでまだ未熟な作業者たちが、どうにか手を動かして、次から次へと流れてくるサケを加工していく。そのアラがどんなものか、加工場側はデータすら取っておらず、機械に入れればチビ身がとれると単純に考えていました。骨肉分離機を使いこなすには細かな調整が必須なのにも拘らず。
 中骨だけでなく、適当にカットしたハラスも投入されます。ハラスの投入量がとても多く、しかも脂の乗ったぶ厚く長い皮なので、チビ身を排出する部分で詰まるという普段は起きないことが始まりました。よくある骨ではなく、しっかりした厚い皮が機械の中で詰まります。詰まった皮によって負荷が高まり、20馬力のモーターのベアリングを損傷。稼働3日目で機械停止の大ピンチ!

 この荒野では、修理なんかできません。部品も手に入らず、部品メーカーからの返事を待ちます。加工場の役員から、「お前はいつ帰るのだ」と言われ、「サムライは逃げないものだ!」。それからが苦労の連続。シアトルから空輸貨物でTPミンサーという別の機械を取り寄せました。でも、加工ラインからの高負荷に耐え切れるか、実際に動かしてみないと心配で帰れなくなったわけです。

サケチビ身でソーセージを試作
 とはいえ、この会社はいい会社です。若い工場長のジョンからは苦言もなく、なんでも「Thank you」。人事担当テイは顔が合うと握手、メンテナンスのドンもいつも笑顔を向けてくれる。
 とれたサケチビ身でソーセージを作ろうと、日本から手作りケーシングを持参。シェフのベンが気に入ってくれて、アイデアをやりとり。試食してもらったら、誰もがすごく喜んでくれ、特に辛いハラペーニョ味付けのソーセージが一番人気でした。よし! これでいつの日か、シアトルのマリナーズ球場でサーモン・ソーセージとビールで野球観戦ができるようにしたい、と夢が広がりました。
 そういえば1台目を納品した時に、そこの営業部長が頭を抱えてしまいました。「チビ身がこんなに多くできるなんて。とても売り切れない」。でも、ソ-セージとハンバーグを食べたら、紅鮭のソテーより美味しくて、不安は吹き飛んだようです。世界中から来る商談客に、ミンチを単に焼いただけのハンバーグやソーセージを食べてもらったところ、皆さんその食感と、そのままの魚肉の料理とは一味違った美味しさに感激。これぞ商売! だって前年までは川に捨てていた物が、金脈になるわけですから。最初は訝しげに見ていた工場長も、シーズン末までに作ったサーモンチビ身60tがすべていい値段で売れたから、翌年は100tを目指そうと言ってくれました。その時の試食が縁で、隣の加工場もチビ導入に至ったわけです。



天国と地獄と中島みゆき

 届いた新しい機械は、スケソウダラすり身製造のテストをやっていたデモ機。でも、なまじ力が強いため、紅鮭の硬い骨が1㎜穴のスクリーンから長さ3㎝の棒状になって続々と出てきたのには驚きました。これでは、とても商品にはなりません。皮が薄く骨は柔らかいスケソウダラとは違うので、新たなやり方を考案する必要があります。それからというもの、天国と地獄を行き来する毎日が続き、2 週間の間、「ファイト!」と中島みゆきの歌を唄っていました。
 投入するペースやハラスの投入比率を変え、排出口の開口を緩めたり、モーターの回転数を変えたり。安心な品質にするため、紅鮭チビ身の中の骨片検査も繰り返し、ようやく1〜0. 5㎝台の骨片が200gあたり3個となりました。
 サケチビ身(チビ以外の機械で作ったので、厳密にはチビ身ではありませんが)をつくる私のアシスタント達の中で、英語が話せる、つまり私と意思疎通できるのは、エストニアから来たWill Mahaffeyだけですが、セルビアから来た若者がとても丁寧に投入役を務めてくれ、できあがったチビ身を箱詰めするのはロシア人でした。監督者はメキシコ人。このチームで無事、サケチビ身を生産できるようになり、これでやっと帰国できます。工場長に、「これは借りた機械だし、チビ身の品質のために今のやり方を維持してください」とお願いして、1人、会社のバスで空港へ向かいました。

品質は熱意がつくる
 この年は寒さのせいか、サケの遡上が少なかったようで、工場を去った7月5日時点で同工場には多くのサケが入っていましたが、他社は半分程度の稼働率のことでした。紅鮭の相場はどうなるのか。チャンスを逃してはいけないと、工場長は反対する私のアシスタント達を外して、生産拡大を指示。結果、骨片のたくさん入った紅鮭のミンチができあがりました。そして、待っていたサンプルを見た日本のお客様からの注文は、すべてキャンセルとなりました。
 「製品の数量は機械がつくる。されど、品質は熱意がつくる」。忘れな草の季節の忘れられない思い出です。


石井 達雄(いしい たつお)
㈱TATSコーポレーション代表取締役。食品会社仕入れバイヤーを経て、1996年に独立。骨肉分離機の輸入・設計・チキンミンチ肉の品質鑑定のほか、小型骨肉分離機Chiby の魚用を開発し、世界中の水産関係者に売り込み中。
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